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カオリラックスのリラックスブログ

カテゴリ:3.11から考える( 2 )

震災から1年経って

震災のあった2011.3.11。
翌日から奈良の実家へ法事へ向かうため、
衣類などの荷物を集荷のお兄さんに預けた後、
友達とマンションの中庭で立ち話をしていた。
明日からしばらく留守にするけど、
帰ってきたらまた遊ぼうね、なんて話をしていたその時、
グラグラグラ!!
すごい横揺れだった。一瞬何が起きたのかわからなかった。

とっさに息子のことが頭をよぎった。
息子はベビーカーに乗ったまま寝てしまっていたので
そのまま家の玄関で寝かせていたのだった。

マンションの管理人さんも外に出てきて、
すぐ外に避難したほうが良いと言われ、
急いで息子を迎えに行った。
階段で5階まで登る際も横揺れがすごかった。
気持ちも動揺していたのでうまく駆け上がれなかった。

息子はベビーカーのベルトでしっかり固定されていたため
大きく揺れたことなど知らぬ顔でまだ寝ていた。
息子の顔を確認して安堵し、
長期戦になることを予想して抱っこ紐とストールを用意し、
急いで息子を抱き上げて外に出た。

家の中にいたマンションの住人が次々と中庭へ出てきた。
携帯のワンセグで確認したら、震度5強だったことがわかった。
汐留にオフィスがある友達から
有明付近のガスタンクが燃えていると連絡が来た。

これは大変なことになるかもしれない、
そのうち携帯がつながらなくなるだろう、
そう思い、急いで都内で働いていたダンナと
双方の実家へ無事であることを連絡した。

立ち話していた友達も急いで家へ帰った。
すると、信号が停電していると連絡があった。
ほどなくしてマンションの管理人さんが
このマンションも停電している、
このまま日が暮れて暗くなる前に
水を確保し、懐中電灯や防寒具、食糧などを用意しておいてください
もし余震がひどければ、中庭でみんなで炊き出ししましょう、
その為の準備をしておいてください。
とアナウンスしてくれた。

周りがどんどんざわついてきた。
小・中学校へ親御さんが迎えに来てくださいと連絡が入っただの、
それを迎えに行けないので代わりに誰か行ってくださいだの、
家の中がめちゃめちゃになってる、
家族と連絡が取れない、
東北が震源地でもっと震度が高かったらしい、
電車がストップしたなどなど、、、
みんなが集まり情報交換していくほど、
どんどん事態の深刻さが増していった。

だんだん日が暮れてきて、いよいよ不安な状況になった。
ダンナは恐らく今夜は帰ってこれないだろう。
その中で私と1歳の息子とで
どうやって暗い部屋の中で過ごせばいいのだろう。

そんな時、マンションの友達が、
私の部屋で一緒に過ごそうと、声を掛けてくれた。
ありがたかった。
こちらには私の息子と同い年の1歳の女の子、そのお母さん、
そしておばあちゃんにおじいちゃんがいた。
日頃からよく遊びに行っていたし
家の間取りが同じなもので、息子も躊躇なくお邪魔することができた。
それに大人が4人いての子供の面倒を見ることはとても安心だった。

このお宅は用意が万全で、ランタンや蝋燭、ラジオをつけて
停電に備えてくれていた。
幸いガスはついたので温かいシチューを作ってくれ、
まだかすかに明るさが残る時間帯に夕飯を食べさせてくれた。

そのうち外の景色は真っ暗になった。
周りにマンションが立ち並んでいる場所で
真っ暗な景色はとても心細かった。
この時もう携帯はまったくつながらない状態になっていたし、
送られていたメールも何時間も遅れて届いていた。

ただ、息子と友達の女の子は元気にはしゃぎ回っていたし、
こうして一緒に過ごしてくれる方々がいたので
それは精神的にとても大きく作用した。

周りが真っ暗なので、息子たちを早めに寝かしつけした。
でもいつもと違う寝床だからか、何度も起きたり落ち着かなかった。
余震も頻繁にあったし、
緊急地震速報が何度も鳴るので私たち大人も落ち着かなかった。
(この速報の音は非常に緊迫した音で、恐怖が増す)

そのうちこちらの部屋で水が出なくなった。
ということはうちの部屋も出ないということだ。
とりあえず水を溜めておいてよかった。

深夜0時ごろ、
こちらのダンナさんが三軒茶屋から6時間かけて帰ってきた。
三軒茶屋といったら車で30分ほどで着くような場所だ。
しばらくは100m進むのに30分~1時間かかったそうだ。

後から聞くと、周りの友達も大変だったようだ。、
横浜アリーナで一晩過ごしたとか、
新橋から大宮(約35km)まで歩いたとか、
子供の保育園のお迎えに行けず保育園に一晩預けてもらったとか、
みんな大変な思いをして一夜を過ごしたようだった。

深夜1時ごろ、電気が復旧した。
電気がつくだけでなぜこんなにホッとするんだろう。
寝ている息子を抱き上げ、自分の部屋へ戻った。
うちには高い家具はひとつもなかったので
ほとんど乱れたところはなかった。
壁にかけてあったテキスタイルパネルが落ちていたので
それを元に戻し、テレビをつけた。

映像を見てショックだった。
気仙沼の火災の状況が映し出されていた。
ラジオで聞いて想像していたよりはるかにひどい状況だった。
地震が起きてから今までの状況を、
やっとこの時知ることとなり、改めてものすごく怖くなった。

とりあえずまた大きな余震が来てもいいように、
靴をそばに置き、災害リュックにすぐ食べられるものをたくさん詰めた。
たくさん着込み、毛布やストールも何枚も用意した。
どんなことがあっても息子を担いですぐに避難するぞと、
意気込み半分不安半分。緊張状態だった。

深夜2時過ぎ、ダンナの使っていた路線の
半蔵門線~田園都市線が復旧したため、帰ってくると連絡が入った。
でも信号はまだ点滅信号のままだったし余震も怖く、
家にちゃんと帰ってくるまで心配だった。

結局明け方5時~6時頃家に着いた。
この時のホッと安堵した気持ちは今も忘れられない。

テレビの状況を見ながら、
私たちは翌日から向かう予定だった奈良行きをどうしようか迷っていた。
できることなら奈良へ行きたかった。
でも、新幹線や新横浜まで向かう電車が運行しているのかどうかわからない。
ネットも電話も混雑していて繋がらない。
そののち、新幹線も田園都市線も運行しているとニュースで伝えたので
とりあえず行ってみることにして、不眠状態のまま朝7:30に出発した。

結果的には田園都市線であざみ野まで行き、
そこから横浜市営地下鉄に乗ったのだが、
あざみ野からセンター北(2区間)までしか運行しておらず、
そこから臨時バスに並んで乗ったので
通常なら30分のところを2時間以上かけて新横浜にたどり着いた。

そして新幹線はのぞみのところがこだまになった。
結局奈良に着いたのは夕方の18時で、10時間以上かかった。
でも無事にたどり着けてよかったし、
この時奈良へ向かったことが結果的によかった。
それは、その時はそれほど深刻に考えていなかった原発問題のこと。

政府は問題ない問題ないと言い続けていて、
それに若干ホッとしていた私だった。
奈良には法事で帰ったのだけど、
私と息子は仕事もないしせっかく来たのだからあと2泊していく予定でいた。
先に東京に戻ったダンナから
「原発、実は結構やばいらしい」と聞いたのはそれからすぐのことで、
別の知り合いからも
「政府関係者の家族は海外へ避難してるし、仕事も自宅待機にさせてるらしい」
と聞いてしまったのだった。
結構信憑性のある情報だったので、
計画停電の影響もあり、
これは今戻らないほうがいいかも、と思ったのだった。

そして私は奈良から東京へは戻らず私の実家の愛知へ行き、
そこで2週間くらい過ごした。

家へ戻ると、近くに住むようこちゃん夫婦が
その時大騒ぎになっていたミネラルウォーターを
息子のために買っておいてくれていた。
その気持ちが本当にありがたかった。

私が実家にいる間に実施された計画停電のときにも、
ダンナがようこちゃんちでお世話になっていたらしいし、
マンションの友達といい、
こういうとき、そばにいる人からの助けは身にしみてありがたいと思った。

それにこのマンションは
日頃から住民同士のコミュニケーションが盛んだったので、
こういう時こそ心強いと実感した。


・・・とこんな感じで私は震災を過ごし、それから1年が経ちました。
私は被災地の方々に比べたらホントに「こんなもん」程度の経験なのですが、
それでもものすごく不安な時間でした。
このことを書き留め、何年経っても忘れないでいることで
私なりの被災地への思いに繋がると思うので、備忘録として書きました。

被災地の人と私とで分け隔てたものはなんなんだろう。
現実には被災していない側の私だけど、
被災していてもなんらおかしくはないし、
今後何らかの形で被災するかもしれません。
そのことを忘れず、
今私はこの世に生かされている人間として、
これからどう生き、何ができるかを考えたいなと思います。

みなさんの3月11日はどう過ごしていましたか?
それぞれのブログやこのコメントなんかで教えてもらえたらいいなと思います。


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by kaorelax0307 | 2012-03-14 02:14 | 3.11から考える

妊娠中や小さいお子さんをもつ方へ


e0060542_15353449.jpg
こちら、『NPO法人セイピースプロジェクト』が発行する
「放射能被ばくから子供を守るために」というパンフレット。

まずこれを読んでみていただきたい。

そしてこちら。

e0060542_15381480.jpg
厚生労働省が保育所なんかに配布したパンフレット。

2つを読んでみてもらってどうだろうか。

比べるものではないとは思うが、
厚労省のパンフレットはオウムのように
「国や自治体からの指示がない限りは安全です。」
とばかり書いてあって
何がどうでこうだから安全だ、という根拠データは一切なし。
国や自治体の指示があったって
その指示自体が信用できないのに、
こんなんで安心できるかっつーの。

なぜ国は「危険です」「注意してください」と言えないの?
そこには後々の補償問題を見据えているからと思ってしまうのは
疑いすぎでしょうか?
「安心です」と言われれば言われるほど
不安にさせられてしまう日本て・・・。

こんなものに税金が使われてしまって
納税者として情けない限りだ。

NPO法人の作ったパンフレットに関しては、
無知な私にもう少し詳しく書いて欲しい部分はありましたが、
(ここに書いてある6.39マイクロシーベルト/hが
どのレベルの値なのか、とか・・・。自分で調べましたけどね。)
外部被曝よりも内部被曝の恐ろしさに重視して書かれているし、
予防策も具体的に書かれているので
初心者には納得しやすい内容になっているのではないかと思います。


あがってくる情報に対して何が正しいのか、
個人個人がしっかり考えなければいけないなと
強く思っています。
そういう意味で言えばいい機会だったのかなと
皮肉にも思ってしまいます。

そしてこれらに関しては私の友達も強くツッコミを入れています。
同じ子を持つ親として、仲間がいる気持ちで心強いです。
はっしーさんのブログ
編集者という立場から、そしてパパという立場から。
自ら自治体へ問い合わせたり、
ガイガーカウンター入手の困難さも書かれていて、
とても興味深いです。
by kaorelax0307 | 2011-05-29 16:03 | 3.11から考える